논단

今日の韓国社会とキリスト教 ― 民主化20年とキリスト教社会運動を中心として

작성자
최형묵
작성일
2008-12-02 20:46
조회
6617
日本 同志社大學校 原 敎授 세미나 特講

2008년 11월 14일(금)

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今日の韓国社会とキリスト教

― 民主化20年とキリスト教社会運動を中心として


崔亨黙(ちぇ ひょんむく、韓国基督教長老会 大田老会 天安サルリム教会 主任牧師)

 

 

 1.民主化以降のキリスト教のイメージ


1970~1980年代の韓国キリスト教は、韓国社会の進歩的なシンボルのように認識された。というのも、韓国キリスト教は、非正常な開発独裁国家体制下で民主主義と人権のために闘っただけでなく、その一方で、その後に多様な運動へと分化した進歩的な社会運動の要覧のような役割を果たしたからである。

しかし、1987年の民主化闘争以降、民主主義の制度化が漸進的に進むにつれ、進歩的なシンボルとしてのキリスト教のイメージはしだいに薄れていった。そして、1990年以降から最近に至るまで、韓国社会において、キリスト教は保守的なシンボルとして認識されている。1989年に韓国基督教總聯合会が結成されて以来、保守主義的なキリスト教の政治行動が顕著になり、多くの社会的な関心事において、キリスト教は保守的な政治見解をはっきりと表明した。社会的な争点となる大半の事案において、キリスト教は、自己利益を守るために利益集団のように行動し、そのような政治行動によって、キリスト教に対するイメージは以前とはまったく異なってしまった。そのような政治行動は多くの場合、社会的な合理性から遠く離れており、さらに、突出した大型教会の不道理は、市民社会の道徳的な基準と深刻に衝突した。それゆえに、一般メディアにおいてキリスト教の不道理が重要な報道素材となり、ネティズンのなかではアンチ・キリスト教サイトが急増するくらい、キリスト教への不信感が澎湃するようになった。  

民主化運動が展開していた20年余りのあいだは進歩的なシンボルと見なされていたキリスト教がその後、すなわち、民主化の制度化が進捗した20年のあいだに保守的なシンボルとなった理由は何なのか。もちろん、1970~1980年代に進歩的なイメージを作り出したキリスト教と、1990~2000年代に保守的なイメージを作り出したキリスト教は、その主導実体が異なる。そうであるなら、その逆転現象が生じた原因は何なのか。規模と勢力において、保守キリスト教はいつも、進歩キリスト教よりも優位を占めてきた。民主化以降の1990~2000年代に入って、保守キリスト教が、突然、その規模と勢力を拡張したのではない。1970~1980年代、すなわち、進歩キリスト教の活動が顕著であった時期においても、保守キリスト教勢力は優位であった。そのような勢力図にもかかわらず、民主化以降に保守キリスト教が今更のように浮上してきたのは、政治的・理念的地形の変化と関連している。



2.民主主義の制度化と社会運動の変化


1987年を境目にして分けられる民主化運動の時代と民主主義が制度化した時代の差異を決定付けるのものは、国家権力の性格に由来する。1987年になるまで開発独裁体制下の国家権力はほとんど、窮すれば恥も外聞もなく何でもするような力で社会の全領域を統制した。国家権力は、憲法において保障された市民の諸権利までも無視するほどの強力な統制力を発揮し、挙句の果てには、形式的であったとしても保障されていた国民の基本権までも維新憲法によって制限し、社会のすべてを統制した。維新体制のあとに生まれた新軍部の政権もまた、基本的に開発独裁体制の遺産を引き継いだ。当時の支配体制は、一方では強力な反共規律をつうじて社会を統制し、他方では経済的成長を追及することによって国民的な同意を得ようとする方式をとった。しかし、強力な政治的統制と加速した経済開発は、必然的に矛盾を生み出し、それに対する抵抗勢力を排他するしかなかった。反独裁民主化運動ないしは民衆運動は、そのような条件において台頭した。

しばしば、反独裁民主化運動ないしは民衆運動と呼ばれる当時の社会運動は、事実、たがいに異質で、しかも多様な運動勢力をひとまとめにしたものであった。反共主義を理念とする保守主義勢力の支配体制のもと、そこから排除された制度政治圏における自由主義的勢力(当時は、野党勢力であった)、自由主義的な性向が強かった在野および宗教界の良心勢力、経済開発の矛盾をもっとも直接的に体感した労働者と農民、そして、理念的にもっとも急進的な進歩主義の性向を見せた学生運動などがすべて、反独裁民主運動ないしは民衆運動の隊列に合流していた。開発独裁の国家権力による強力な統制が、これらのさまざまな勢力をひとつの前線に結びつける条件を形成してくれたからである。

しかし、1987年、反独裁民主化運動の激しい抵抗によって、開発独裁体制は危機に瀕し、最終的に支配勢力は民主化の要求を受け入れるほかなかった。当時の情勢は革命的な危機を彷彿させたが、民主化運動の勢力が権力をじかに掌握する革命には繋がらなかった。これにより、民主化の性格が決定付けられた。それは、基本的には、支配勢力が民主化勢力の要求を受け入れながらも支配権自体を委譲したのではないという点から、支配体制が維持される限りにおいて推し進められる保守的な民主化プロセスでしかなかった。それは、既存の国家権力の性格から断絶した形態ではなく漸進的な変形を追求する方式によって進められ、経済的な成長主義をそのまま継承するなかで推し進められた。さらに、民主化のプロセスが資本のグローバル化のプロセスと同時に進められたがゆえに、政治的な自由化としての民主化というよりは経済的な自由化としての性格が、より際立って表れるしかなかった。その民主化から20年が経った今日、手続き的な民主化は進展したが実質的な民主化は成し遂げられていないという評価、また、民主化の恩恵をもっとも受けているのは財閥と大企業だけであり一般国民ではないという評価などは、このような民主化プロセスの限界に由来している。

それにもかかわらず、支配体制の変形、政治的自由空間の拡大、民主的プロセスの合理性の強化のおかげで、民主化以降の社会運動は、その活動の幅を広げることができた。それだけでなく、過去に反独裁の民主化前線おいて事実上ひとつに結び付けられていた社会運動はさまざまに分化し、理念的な志向を表すようになった。

保守主義勢力との妥協によってではあったが、過去に民主化運動に参与した制度政治圏の自由主義勢力が政権を握り(金泳三[きむ よんさむ]政府、金大中[きむ でじゅん]政府)、支配体制が急激に解体しない条件においてはあるが、1987年、民主化運動の主導勢力のなかの一部がじかに政権を構成するまでになった(盧武鉉[の むひょん]政府)。韓国民主化の基本的な限界により多くの問題を露呈したにもかかわらず、それが社会運動の拡張効果のなかのひとつというのは明白である。

民主主義の制度化プロセスにおいてもっとも注目に値する様相は、市民運動の拡散である。市民運動は、それ自体に単一な性格があるのでなく、とても多様な事案ごとに離合集散する形態を見せており、同時に多様な理念的スペクトラムを見せている。しかし、大体、市場経済の条件のなかで、民主主義の政治的制度化を圧迫し、市民の権利を伸張しようとする点において、自由主義的な性向がある。民主化の効果によってもっとも広範囲に拡散した自由主義的な市民運動の両辺に、保守主義的な市民運動と急進的進歩主義性向の民衆運動が位置している。韓国の保守主義勢力は、依然として政治と経済、官僚社会のなかに最大の支配力を維持しているにもかかわらず、一定のあいだ、大統領を含めた選出職政治権力において排除ないしは弱化による危機感を感じ、その危機感に同調する市民社会のなかで保守主義勢力が新たな活路を模索した。いわゆる「ニュー・ライト」または「新保守主義」勢力は、民主化時代における保守主義の合理化を狙い、その影響力を拡張し、政権をふたたび奪還するために苦心した。そして、結局、李明博(い みょんばく)政府の登場によって、その目標を達成した。過去に反独裁民主化運動の求心勢力であった民衆運動は、「民主と反民主」単一戦線に友軍として合流していた自由主義勢力の独自化によって、相対的に萎縮した。しかし、最近、韓米自由貿易協定(FTA)阻止国民運動本部を中心とする新自由主義の対抗前線が形成されたことにより、その役割の重要性が重ね重ね浮き彫りとなっている。

保守主義勢力は言うまでもなく、市民運動によって表出した相当数の自由主義勢力が民主主義の政治的制度化に焦点を当てたり、それに適応する態度をとったりしている反面、民衆運動は、民主主義の政治的制度化の限界をこえて実質的民主化を遂げられる対案を追求している点において、今後の韓国における社会運動の方向を決定付ける鍵を握っている。



3.民主主義の制度化とキリスト教社会運動の変化

 

  民主化以降の社会運動勢力として、新保守主義の登場、自由主義的性向がある市民運動の活性化、そして、進歩主義的性向がある民衆運動の相対的な弱化という現象に集約される社会運動の変化様相のなかで、キリスト教社会運動はどのような変化の過程をたどったのだろうか。

民主化以前のキリスト教社会運動は、韓国の進歩的社会運動の要覧とも言える役割を担った。進歩的社会運動の要覧として、キリスト教の役割は、キリスト教にあった国内外的な人的・物的ネットワークのおかげでもあるが、一方では、強力な反共規律社会として韓国社会の特性とも関連がある。南北分断以降に進歩的社会運動の脈が途切れたが、1960年代以降に開発独裁体制に対する社会的批判勢力が形成されたはじめたとき、その歩みにとっての最大の障害物は反共主義であった。もともと強力な反共規律が支配する社会であったがゆえに、容共の烙印が押されるや否や社会的な共感帯を失わざるを得ない状況において、キリスト教は容共の烙印に対する保護幕となり、社会運動の種を育むことができた。キリスト教自身も、容共の烙印という危険を甘受していたが、キリスト教自体の神学とネットワークのおかげで、一般社会にある危険負担に比べると、その負担は相対的に軽かった。そのような理由のゆえに、社会運動の要覧としての役割を果たしたキリスト教は自然と進歩的なシンボルとして認識され、民主化運動が持続するあいだ実質的に重要な部分を担った。

民主化以降に政治的表現の空間が拡張した状況において、キリスト教社会運動の分化もまた、巨視的に視点において、一般社会運動の理念的地形の分化と類似している。

民主化以降のキリスト教社会運動の変化様相において、過去に支配体制の隠密な協調勢力であった伝統的なキリスト教の保守主義勢力が政治社会の全面に現れたことは最も注目すべき現象であり、過去に反独裁民主化運動の隊列で一枚岩だったキリスト教社会運動の分化現象がもう一方の重要な様相である。

依然としてキリスト教界には、その版図を保守と進歩に分ける二分法が用いられているが、保守キリスト教において分化現象が生じているのみならず、事実、進歩キリスト教社会運動の陣営においても民主化以降に分化が生じたり、それが予想されたりしている点を注目せねばならない。とくに、民主化以降、過去に制度政治圏で排除されていた自由主義政治勢力と交わり、在野勢力と呼ばれていたキリスト教内の勢力が、民主化以降に政府に参与しだしたのは、民主化以降のキリスト教社会運動の変化様相を観察する際に注目すべき重要な要素である。進歩キリスト教においてこのような性向を持った勢力は、社会的にも教会的にも大きな影響力を持っている。これにともない、過去にこれらと一勢力を築いていた民衆運動を志向する進歩主義キリスト教社会運動の勢力は、相対的にかなり萎縮した様相を呈している。

キリスト教社会運動は、全般的に保守主義が強まる趨勢において、自由主義の分化と進歩主義の相対的な弱化という具合にその様相を集約することができる。キリスト教社会運動のこのような様相は、進歩主義民衆運動の弱化という点において一般の社会運動と同一である。しかし、一般の社会運動の版図が自由主義的市民運動の急激な拡張という様相を見せつつ保守勢力を圧迫するのに反し、むしろ、キリスト教においては保守主義が全面に現れ、その影響力を拡大しているという点で異なる。


1)保守主義の強化

民主化以降、キリスト教保守主義の版図が奇形的に拡張し、ある面において社会の保守主義を先導しているかのように見える理由は何なのか。まず、基本的にキリスト教保守主義が政治社会の表面に登場しなかった民主化運動の時期においても、キリスト教内で保守主義が規模の面で優位であった点を勘案せねばならない。理念的にも組織的にも相当の同一性を保ってきたキリスト教保守主義が、民主化によって政治的な表現の自由空間が拡大したときにその発言権を高めるようになった点は、一次的に、自然な現象である言えるだろう。

問題は、いかにして突然に攻撃的な政治参与へと急変したのかという点である。それは、民主化以前とは異なり、民主化がキリスト教の保守主義にある種の不満な状況を引き起こしたからと判断できる。民主主義の制度化には少なくとも、政治制度的な次元において市民社会の合理性と公共性を拡張する効果がある。端的な例を挙げるなら、1990年代の租税論争や最近の私学法についての議論をつうじて知ることができるように、キリスト教保守主義は、市民社会の合理性と公共性にある自らの既得権を侵害するものとして受け止めている。

 ここに、理念的な混乱の危機感が、キリスト教保守主義の攻撃的な政治参与が加勢する要因となった。民主化は、統治イデオロギーとして反共主義を無力化し、国家保安法などの反共を支える国家的装置の撤廃を要求した。過去の政権の統治イデオロギーの性格よりもっと強力に反共主義を内面化したキリスト教保守主義は、これを自身の神学的かつ理念的な支柱までも脅かすものと見なし、ふたたび進んで武装しはじめた。キリスト教内において反共主義の公式的な撤廃宣言に該当する、1988年の韓国基督教教会協議会による「民族の統一と平和についての韓国キリスト教の宣言」以降、保守主義キリスト教界が危機感を感じ、その翌年に韓国基督教總聯合会を結成したのは、この点において非常に示唆に富んでいる。

一方、キリスト教保守主義の全面的な登場は、進歩的キリスト教界の人々が民主化以降に政権に参与したこととも、ある程度関連している。過去の進歩キリスト教による反独裁民主化運動には道徳的な正当性があり、その正当性は保守キリスト教勢力の特権的な立場を抑制する効果を発揮した。政治権力の強圧性だけでなく反独裁民主化運動の正当性もまた、保守勢力を抑制する効果を発揮した。しかし、進歩主義キリスト教社会運動との関係が緩むなかで成し遂げられた、キリスト教の進歩的な人々による政権参与は、保守キリスト教勢力をして相対的な剥奪感を抱かしめ、その結果、競合関係を引き起こした。


2) 自由主義の分化

 既存の進歩的な民衆運動と一定の距離を置き、その上層部の人々が民主化以降に政府へ積極的に参与した現象は、キリスト教社会運動において自由主義勢力の分化様相と見ることとができる。これらの勢力は、反独裁民主化運動の先鋒となったくらい、民主主義の制度化に高い関心を傾けているが、民主化以降には政府の発展主義および新自由主義的な経済政策に事実上、同調していたり、意味のある制御勢力としての役割を果たせなかったりしたという点において、自由主義的な性向を表したと理解できるのである。

金泳三の文民政府と金大中の国民の政府、そして、盧武鉉の参与政府に至るまで、キリスト教界の人々による持続的な参与が過去の反独裁民主化運動の紐帯から始まったのは言うまでもないが、その参与が目的どおりに民主化を強めただけではない。むしろ、民主化運動の成果の分かち合いに終止し、結局は、成長主義と新自由主義に捕縛された政権の限界に縛られ、その政権を正当化する役割だけを担ったと判断できる。政治的な自由化としての民主化は相当部分で進捗したが、経済的自由化による弊害は日毎に深刻化しており、したがって、実質的な民主化の基盤が毀損していく現実においてその代案を提示する勢力としての政権内で意味のある役割ができなかったという点から、政権に参与したキリスト教勢力は進歩的な社会運動とはかなり距離を置くようになったと言える。


3)進歩主義の弱化

 過去に固い絆の友軍を率いていた進歩主義キリスト教の民衆運動は、孤独な状況に直面している。キリスト教民衆運動は、1990年代序盤に現実の社会主義の崩壊と資本のグローバル化にかみ合った全般的な民衆運動の退潮という混乱を共有した。キリスト教民衆運動は、1987年に反独裁民主化運動が最高潮に達した頃に基督教社会運動聯合などによって集結したが、民主化とともにその影響力は顕著に退歩する局面を迎えもした。

しかし、新自由主義的な経済開放の流れとともに進んだ民主化の限界状況が露呈するにつれ、新たな活力を探す民衆運動とともに進歩的キリスト教民衆運動には、新たな課題を付与されている。基本的に、資本のグローバル化とこれを裏付ける軍事的な覇権の拡張により発生する暴力の悪循環という状況において、社会底辺層の基本権の拡張と平和的な生活条件、そして、持続可能な生態環境のための目標において、さまざまな階級・階層の民衆運動は連帯できる条件を確保しており、これからその役割があらためて重要となった。最近では、アメリカの軍事的覇権主義に対抗した平和的な反グローバル化および自由貿易協定阻止前線において、さまざまな勢力が連帯しつつ、新たな活路を見出している。

最近の進歩的キリスト教陣営の変化した様相において注目すべきは、過去に保守的な教会の底辺から改革的なグループが現れたという点、既存の教会の指導力と教会政治の構造を新たにしようとする教会改革運動についての問題意識がしだいに強くなっている点などである。これには、キリスト教が全般的に保守化している趨勢に対する対応としての意味がある。



4.保守主義の強化趨勢のなかでの進歩的キリスト教 の進路


韓国キリスト教において、全般的に保守主義が優勢になり、過去の進歩主義陣営の一部がまた保守化する可能性が高いのは現実である。李明博の保守政権が登場することに韓国キリスト教の保守勢力が絶対的に寄与した。社会的にも教会的にも強まった保守化の趨勢は、一方ではキリスト教進歩勢力を萎縮させたのは事実であるが、もう一方では韓国社会のなかに進歩的キリスト教が担わねばならない課題を今更ながら確認させてくれる。

韓国の市民社会において、保守キリスト教勢力は確実に権力集団として認識されている。そのように権力化したキリスト教勢力は、強力な社会的影響力を確保するようになった。しかし、社会的影響力の拡大がただちに、その肯定的な影響力に該当する公信力の拡大を意味するのではない。むしろ、社会的な影響力が高まるほど、社会的な公信力が低くなる現象が広がっている。すなわち、その点において、権力化したキリスト教勢力とは区別される進歩的キリスト教勢力の活動領域と課題は、さらに重要になった。

ここで、韓国社会の全般的な保守化に対応する進歩的キリスト教社会運動の課題は何なのか。資本の横暴を制御することによって民衆生活の疲弊化を防ぐことができる急進的な民主主義の模索、資本のグローバル化という現実において代案的な世界化を追い求める勢力との連帯、生命・平和運動と民衆運動の結合、少数者運動への持続的な関心と連帯、キリスト教社会運動と教会および神学の有機的な結合などを、その主要な課題として提示することができるだろう。このような課題を自らの課題と見なすキリスト教は、権力化したキリスト教とはまったく異なるキリスト教である。



翻訳 韓 守信(はん すしん、日本キリスト教団

長岡京教会 牧師 / 神学研究科博士後期課程D4)

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